「30分活動するごとに15分休む」について
軽躁になりかけても踏みとどまれている
「30分活動するごとに15分の休憩を取る」という生活スタイルを取り入れて、10日ほどが経つ。
その効果が出ているのか、今のところ、うつ状態にはなっていない。
ただ、「少し上がっている(軽躁状態)かな?」という日が何日かあった。
早朝4時頃に目が覚め、そのまま眠れなくなり、あれもこれもしたくて仕方がないという状態になった日が3日ほどあったのだ。
金遣いも少しだけ荒くなり、いよいよ躁転したか? と危ぶんだ。
しかし「30分の活動したら15分の休憩を取る」を遵守しているおかげか、ハイになっても翌日には治まる、というのを繰り返している。
病気発症により、体力・気力の上限が大幅に下がっている
「30分の活動で15分休む」というのを実践するのは、元気な時には少し難しい。
元気な時は、30分を超えて色々やりたいと思ってしまう。
しかし、双極を発症してから「体力や気力の上限が発症前と比べて大幅に下がっている」ことを最近、やっと自覚するようになった。
また、自分が「元気に活動できていた頃」と感じていた時期は、実は元気だったのではなく単なる「軽躁状態」だったのだとも考えている。
これらを考慮せず、やりたいままに活動していたら、反動で鬱になる。
何度も何度も、繰り返してきたことだ。
病気・障害を受け容れるということについて
発症前と同じように❝元気に❞活動するのは無理がある
「体力や気力の上限が下がった」というはどういうことか、自分で納得できるように置き換えてみようとしたところ、自身の「視力」に例えられるのではないかと考えた。
私は極度の近眼で、裸眼では至近距離の物しか見えない。どこに何があるか把握している自宅以外の場所で裸眼で過ごすことは、ほぼ不可能である。
双極を発症した状態で、発症前と同じように❝元気に❞活動しようとすることは、「近眼なのにどこでも裸眼で生活しようとしている」ことと似ているのではないだろうか。
病気・障害を受け容れるということ
極度の近眼の私が日常生活を送るには、メガネやコンタクトが必要だ。
それらを着用しても、視力のいい人と全く同じように生活はできない。メガネやコンタクトは疲れるし、手入れしないといけないし、維持費がかかる。
また、私の視力は永久に回復しないと眼科医に言われている。
しかし私は近眼であることを嘆いていない。そういうものだと受け容れている。
自身の精神疾患に対しても、「そういうものだ」と受け容れる必要があるのではないだろううか。
「休むこと」を頑張る
双極やうつに対する「メガネ」や「コンタクト」が、「薬」や「生活習慣」なのだろう。
薬は医師のお陰で、自分に合っていると思えるものと巡り合うことができた。あとは生活習慣だ。
双極やうつに限らず、精神疾患に罹る人は休み下手な人が多いイメージだと、病院勤務の夫が言っていた。
頑張らなくていいことを頑張ってしまう……心当たりがある。
また、経験上、よかれと思って頑張っていたことが、実は頑張らないほうが良かった、という場合もある。最近で言えば、よかれと思って頑張っていた料理がいい例だ。
同じ「頑張る」なら、私は休むことを頑張るようにしたい。どうすれば休めるかということ、どうすれば休む時間を捻出することができるか考えるということを頑張りたい。
そうして導き出した答えのひとつが「30分の活動で15分休む」だ。
自分に合った休み方、生活習慣を見つけ出し、安定した生活を送れるようになるよう、努力しよう。
ダメだったら、また別の方法を模索するまでだ。
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